2020年のちよだ芸術祭はオンラインで行うことになりました。地域の様々なところで演奏動画を作成します。MAP下の撮影場所のバナーから各場所の動画に移動できます。

(文化庁文化芸術活動の継続支援事業)


オペラ“ドン・カルロ”より「友情の2重唱」
10月21日公開!
オ・ソーレ・ミーオ、アイーダより「凱旋行進曲」、高原列車は行く、フニクリ・フニクラ、ふるさと
10月22日公開!
菩提樹、エーデルワイス
10月23日公開!
流浪の民
10月24日公開!
ウ・ボイ、夏の思い出
10月25日公開!
‘O sole mio
10月26日公開予定
「第九」4楽章ハイライト
10月27日公開予定

東京駅

東京駅篇:オペラ“ドン・カルロ”より「友情の2重唱」

東京の表玄関、千代田区丸の内のターミナル駅。辰野金吾らによって1914年に竣工された丸の内赤煉瓦の駅舎は2003年に重要文化財に指定されている。東海道新幹線、東北・上越・長野新幹線、東海道本線、宇都宮・高崎線、山手線、京浜東北線、中央線、横須賀・総武線、京葉線など多岐にわたる路線が発着する。
東京大空襲では焼夷弾の被弾によりレンガ・コンクリートなどの構造体を残して消失。終戦後、1945年から47年にかけて修復工事が行われた。2000年、丸の内駅舎を創建当時の様に修復する計画が始動。2007年から2012年にかけて工事が行われた。
撮影場所は丸の内駅舎の正面、皇居に向かって伸びる行幸通り。皇室の行事及び外国大使の信任状捧呈式などに使われている。


神田川

吉祥寺の井の頭池にはじまり、千代田区の北側を流れ、隅田川に合流する河川。全長24.6km、流域面積105.0平方km。
1600年初期に神田上水とともに飲料水確保のために徳川家によって整備された。水路としても活用されてきた。
高度成長期には生活排水の流入で水質汚濁が進んだが、下水道網の改善と元来の豊かな水量のおかげで、鯉や鮒が生息するまで回復している。
現在は観光としても活用されており、クルーズ船なども航行している。特に桜の頃は人気がある。

撮影は船宿三浦屋様の協力を得て、和泉橋〜お茶の水渓谷の船上で行われた。


神保町古書店街

約180店舗の書店が軒を列ねるここ神保町古書店街は、規模において世界最大の書店街とも言われている。
1880年代、この地域に明大、中央大、日本大、専修大の前身となる法律学校が創立されると、その学生相手に古書店も含めた法律書の書店が集まった。これが神保町古書店街の始まりとも言われる。大学の学部多様化に合わせて、各専門書が充実していった。

古書店街の書店は、それぞれ取り扱う本に店ごとに特徴がある。例えば今回撮影に協力していただいた古賀書店は楽譜や音楽書、書肆高山本店は謡本や料理書や武道書、ブックハウスカフェは絵本などのこどもの本を取り扱っている。


湯島聖堂

1690年、林羅山の私邸に設けられた私塾と孔子廟は、五代将軍綱吉によって湯島に移された。湯島聖堂の始まりは、この年とされる。
それより100年後の1797年に、幕府直轄学校としてここに昌平坂学問所が開設された。
儒学に支えられた江戸時代が終わりを告げると、明治政府によって国の教育の中心として文部省が置かれることになり、学問所は廃止された。なおその後、筑波大学・お茶の水女子大学の前身となる東京師範学校・東京女子師範学校などが置かれ、近代教育に貢献することになる。
1922年より国の史跡に指定されている。関東大震災(1923年)によって入徳門と水屋を残して焼失するが、1935年に再建された。この建物が現在の湯島聖堂で、戦後は1986年から保存修理工事がなされた。
都会の中心に木々に囲まれてひっそりと佇む、漆黒の美しい伽藍は見るものに時を忘れさせる。教育に所縁があることから受験生の参拝客も多い。


千鳥ヶ淵

江戸城の拡張工事の際に川を土橋で塞ぎ止めて出来た堀で、もともとは南側の半蔵壕(千鳥ヶ淵公園に隣接している)と一つの堀であったが、明治期に道路工事の際に埋め立てられ2つに分かれた。元々の堀の形が翼を拡げた千鳥の形に似ていることが、千鳥ヶ淵の名前の由来とも言われている。
1956年に千鳥ヶ淵緑道を挟んだ先に千鳥ヶ淵戦没者墓苑が建てられ、日中戦争、太平洋戦争の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことのできなかった遺骨はここに安置されている。

1955年から数年に渡り桜が植えられ、現在は桜の名所の一つとして有名である。春には多くの人で賑わい、夜にはライトアップされる。

撮影は、千鳥ヶ淵緑道内の区営ボート場で行った。


WATERRAS

神田淡路町2丁目にあるワテラスは「和」「輪」「環」の三つのWAをコンセプトにデザインされた再開発エリア。
2009年に着工され、2013年3月に竣工。商業施設、居住施設、コミュニティー施設などを内包する複合施設として生まれ変わった。

今回撮影させていただいたのは、ワテラスコモンホールとワテラス広場。
コモンホールは会議・セミナーからコンサートまで対応できる多目的ホール。オープニングコンサートやクリスマスコンサートなどの会場として、ちよだ芸術祭とも関わりが深い。
広場にある翼の形のオブジェクトは、美術家・鴻池朋子氏の作品でタイトルは「ワイルドシングスー地形の魔力」。


神田明神

社伝によれば、大手町将門塚近辺に730年に創建された。
平将門の乱の後将門は将門塚に葬られるが、疫病や天変地異が重なり、これを将門の祟りとして供養が行われ、神田明神に奉祀された。
戦国時代は太田道灌、北条氏綱などに手厚く崇敬される。

関ヶ原の戦いの前に徳川家康は神田明神に戦勝の祈願をし、神田祭(9月15日)の日に勝利を納める。こうした経緯から江戸時代は幕府に手厚く保護され、現在の神田への遷座や社殿の造営が行われた。

関東大震災(1923)年では社殿の焼失に見舞われるが、1934年に当時としては珍しい鉄筋コンクリートで再建される。そのため1945年の東京大空襲では焼夷弾の被弾にも関わらず、本殿・拝殿の消失を免れた。

現在も、地元氏子の信仰は厚く、例年5月の半ば(以前は旧暦9月15日であった)の神田祭は大変な盛り上がりを見せる。神田祭は山王祭、三社祭と江戸三大祭と並び称される。


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